大島紬を学ぶ (2015.11.7 Sat.)

藤工房さんで行われた「大島紬の勉強会」。講師の加納さんがわかりやすく教えてくださり、多少は知っているつもりになっていた大島紬を、再認識、再発見。まことに有意義な土曜日の午後となりました。以下ご用意のレジメを参考に聞き書、覚え書き。

・大島紬は二度織る
 明治34年頃、それまで手で括っていた絣を機を使って括る「締機(しめばた)」が永江伊栄温氏によって開発された*。その後、締機で括られた反物の様に見える糸は車輪梅と泥田で染められた後、機で織られる。それが「大島は二度織る」と言われる所以。横糸が実際に使われる絹糸で縦糸は木綿糸(ガス糸)。
*最初に絣加工用締機を発明したのは、重井小坊という方。しかし重井小坊氏が若くして亡くなってしまい、その技術を受け継いだ永江伊栄温氏によって実用化された。

・大島は紬じゃないって本当?
 元々は手括りの真綿の紬糸を使って地機で織られていた「紬」であったが、現在は生糸を使い高機で織られているので「紬」ではない。(つまり「お召し」のように堂々とお茶会に着て行っていいのよね・笑)どうして生糸を使う様になったのか。締機の技法で紡ぎ糸を絣糸に使うと、はっきりした絣が出ない。そこで、紡ぎ糸ではなく、生糸の弱撚糸を使うようになった、ということらしい。

・絣について
 締機で糸を括る様になって細かい柄を織り出すことが可能になった。これは大島紬ならではの特徴。

・染めについて
 泥で染める、ということが前述の「締機で糸を括る」ということと並んで他には見られない大島紬の大きな特徴。まず車輪梅(別名「テーチ木」)を煮出した染料につける。約20回(約30回という記述もあり)つけた後、泥田に。これを4回繰り返す。「烏の濡れ羽色」と賞賛される色はこうやって生まれる。なお、泥を使って染めるためカビやすいそうだ。なるほど!そういえば先日しばらく来ていない泥染大島を引っ張り出したらカビていました。大泣きでしたが、言い換えればカビない大島は泥を使っていない可能性があるそうで、このカビてしまった大島は図らずもちゃんと泥を使っていたことが判明した、ということが言えます。悲しいのやら嬉しいのやら(苦笑)

・織りについて
 染め終わった糸をまずほぐす。このほぐす作業も実に大変そうである。それを機にかけて、ようやく織り作業。大島の縦糸は1240本、その縦糸総数に占める絣糸の密度の単位が「マルキ」。5マルキ、7マルキ、9マルキ、奄美ではいつ、なな、こん、などと呼ぶらしい。その後ろに付く「一元(ひともと)」と「カタス」。一元が絣糸たて2本に対してカタスは1本。前者の方が絣一粒一粒の形がきっちりとなる。表現はすこし雑ですが、後者はそれに比べてデコボコした感じ。その他に「割込」と呼ばれる、不規則な配列にしてより複雑な表現を実現させる技術もあるが、現在ではほとんど織られていないそうだ。

 繰り返しの総柄より、飛び柄の方が織りは難しい。さらに言えば、反物の半分に収まる柄行きにくらべ、柄の大きさが半分以上のものは余計に手間がかかる。なお、織るときに、絣を合わせるために針を使うので「針足」と呼ばれる光沢が現れる。上手な人ほど少ないが、この「針足」があることが、本物の証明でもあるらしい。

 5マルキ一元   絣糸たて2本 よこ2本 地糸3本
 7マルキ一元   絣糸たて2本 よこ2本 地糸2本
 9マルキ一元   絣糸たて2本 よこ2本 地糸1本

 7マルキカタス  絣糸たて1本 よこ2本 地糸3本
 9マルキカタス  絣糸たて1本 よこ2本 地糸2本

・証紙
 宮崎(鶴印)* 奄美(地球印) 鹿児島(旗印) の3種類 
 *奄美大島から都城地域に疎開した人たちが織り始めたので宮崎も産地のひとつ

私のファースト大島(カビさせてしまったのとは別の)は鹿児島の親戚が織ったものと母から聞いている。泥大島(正確には色泥大島)なので、奄美で染められた糸を使い鹿児島で織られたのではないか、と教えていただく。制作工程を詳しくお聞きし、何気なく着ていた着物がたいへんな手間をかけて作られた、ということがよく理解できた。自分でお金を払って誂えてものではないので、正直それほど深く考えたことがなかったけれど、今日の勉強会で有り難さが二倍にも三倍にも大きくなった。

まことによい機会を与えていただきありがとうございました!