松殿山荘見学会 (2017.06.11 Sun.)

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茶の湯文化学会主催の見学会、伏見の松殿山荘を見学する。ご案内をいただくまで名前すら耳にしたことがなかった。HPを拝見してびっくり。そしてうかがってさらに驚く。

最寄の「JR木幡駅」ではタクシーはないそうで、地下鉄東西線の終点「六地蔵」へ向かう。こちらはJRの駅もありタクシーも拾えるくらいなので駅前もしくは駅構内にカフェのひとつぐらいあるだろうと、時間にはかなり余裕があるけれど初めての場所でもあるし、向かう。予想に反して駅にカフェはなく、駅前の喫茶店も定休日。とほほ。仕方なく売店でサンドイッチを買う。公園のような場所もなく、考えあぐねた挙句タクシーの車内でパクつくことに。運転手さんにお断りしてお行儀が悪いけれど、パクパク。優しい運転手さんでよかった。降りる段になって「ゴミいただこうか?」と声を掛けてくださった。いやいやそれはなんでも!丁寧にお断りする。しかしその御心がとてもうれしい。

松殿山荘が建つ場所はおよそ900年前に関白藤原基房が建てた松殿(まつどの)とよばれた別業(別荘)邸宅跡。曹洞宗の開祖、道元禅師の生誕地とも言われている(藤原基房は道元禅師の母方の祖父)。松殿山荘は大正から昭和にかけて高谷宗範(たかやそうはん/本名恒太郎 )が、小間の茶全盛の1918年(大正7年)に茶道の起源である広間の茶、書院式の茶道を復興するためにこの地を買い求め十余年の歳月を掛けて建てたもの。宗範が打ち立てたお茶は「山荘流」といい現在も続く。松殿山荘も公益財団法人・松殿山荘茶道会の道場として今も維持管理されている。

一部には、江戸時代の大坂の両替商、天王寺屋五兵衛(てんのうじやごへえ)の屋敷を移築している。見事な玄関や大広間、茶室の楽只庵(七畳)不忘庵(三畳台目)など。これほどのことが出来た宗範とはいかなる人物か。

高谷宗範/嘉永4年(1851年)~昭和8年(1933年):中津藩の生まれ。親戚であった福沢諭吉のすすめで東京に出て学業に励み、大蔵省・司法省の役人、東京控訴院検事を経て弁護士を開業。関西の財界人と接点を持ち、茶道で交流を深めた。茶の湯は遠州流の小堀宗舟に学び、のちに山荘流という流派を興す。

おおよそこのような経歴のようですが、役人を経て弁護士、という人物にそれほどお金があったとも思えない。そんな疑問を持ちながら調べていると大同生命のHPがヒットした。そのページに「一八九四(明治二七)年、弁護士で、のちに茶人としても活躍する高谷宗範が松方正義の後援を得て五兵衛の旧宅を買い取り、その一部を京都の宇治に移築します。」とあった。なるほど〜。

さて見学。宗範の思想・哲学がそこかしこに表されている。丸と四角はいくつあるのだろう。天井などはヨーロッパ的とも思えるがこれはドイツへ渡った経験からか。しかし広大すぎて維持管理がさぞや大変だろうと拝察する。畳を替えるのもたいへんそうだ。などと思ったら畳は今やたいへん貴重で高価な「中継ぎ表」というもので、替えずに使っているのだそうだ(失礼しました…)。お茶とお菓子もいただき、少しだけれど山荘流の所作・心にも触れることができた。それにしても知らないことが世の中にはたくさん。今日は本当によいご縁をいただきました。

「高谷宗範」「松方正義」というKWで検索したところ興味深い論文がヒットした。故郷の山梨大学のデジタルライブラリー。こちらもご縁。「故郷は遠きにありて思ふもの… 帰るところにあるまじや」(室生犀星)ですが、こんな風に名前を見つけると嬉しくなってしまいます。