3回連続講座の第2回。「砂糖の通った道ー江戸時代のシュガーロード*と菓子文化ー」と題して本日は北九州市立大学の八尾啓介先生ご登壇。「シュガーロードとは何か?」「南蛮菓子とは何か?」そして「まとめ 和菓子としての南蛮菓子」という流れ。盛り沢山の内容。ついていくのがたいへん!(笑)
砂糖は薬として8世紀に入って来た。室町時代末ごろには、西洋や中国との貿易で流入。長崎で荷揚げされ、船で大阪(堺)へ。そこから江戸、そして全国へ。一部は御用砂糖として御菓子屋へ、と言うのが本道。その他、貰砂糖(→地役人・遊女)溢砂糖(→荷揚げ日雇い)から仲買への間道あり。長崎の警備を隔年で担っていた佐賀藩・福岡藩には買付特権あり。全体のおよそ5%から10%が大阪に運ばれずに長崎街道周辺で流通。
イギリスでは産業革命後、ホワイトカラーとブルカラーの砂糖の消費量が逆転しているそうで、日本でも同じようなことが起きているのでは、という仮説に立ちリサーチされたくだり(明治6年から昭和13年)もたいへん興味深かった。確かに炭鉱がある場所にお菓子屋さんが創業されている。数多くの人が集まったので、その方々が贈答用にしたのか、それとも炭鉱で働く人たちの口に入ったのか。どちらの可能性もあるのだろうと言うお話だった。
「南蛮菓子とは何か?」の中では、常々疑問に思っていたMarmeladaに遭遇。Caixa da Marmeladaで日本では「かせいた」と呼ばれる。これは以前虎屋文庫の方にお話を伺ったときにも出て来たお菓子だった。Marmeladaはマルメロ(セイヨウカリン)のジャム。マーマレードの語源と言われていますが、元々はマルメロのジャムを指すようです。なぜそれが柑橘のジャムを指す語になったのか。英国で変身を遂げたという説を読みましたが、ストーリーが複雑で(苦笑)ちなみにMarmeladaはギリシア語で〈蜜のリンゴ〉の意のメリメロンmelimēlonから派生したそうです(世界大百科事典参照)そのマルメロ/marmeloは江戸時代に渡来。
Bolo(ぼうろ/菓子の総称)の一種類だと思われるスライド写真が子供の頃に食べていた「甘食」にそっくり!これもポルトガル由来のものなのか!?調べてみたところ諸説あるようですが、私はポルトガル由来に一票。
そして今回はなんとお年玉(有平糖/紫野源水製)付きでした(嬉)
*“シュガーロード”は2020年に日本遺産に認定。