ふたたびなでしこ(2024.07.31 Wed.)

私たちの本命は“なでしこ”です。きっぱり(笑)予選リーグ最終戦の相手はナイジェリア。昨日よりはましだが今日も蒸し暑い。チケットはいつの間にかしれっと普通の席になっていた。やはり「あれ」は間違いだったのだ!! 今日はナント最終日。心置きなく楽しもうと、まずは植物園のカフェでランチ。予約はしたし、とるんるんと出かけてみると予約は取れていなかった。リクエストが送信できたので、戻ってきたレスポンスもOKとばかり思っていた。思い込み、早合点、からきしのフランス語ゆえか(大泣)先日ティータイムでお寄りしたときに、お客さんが食べていたムール貝が美味しそうだったから今日はそれ! と意気込んでいたやぎ。申し訳ない。今度来たとき(3回目はあるのか!?)にリベンジしよう。それでは夜にと思っていたバスク料理店へ。悪くはなかったけれどバスク料理、なのかしら。バスクへ行ったことがないからわからないけれど(笑)

今日のゲームは午後5時スタート。このスケジュールだと終わってからレストランへ繰り出せるのがありがたい。今宵はなでしこの動きがいい。安心して見ていられる。美南さんがゴールを決めて良かった。千葉さん、一本くらい決めて欲しかった(笑)取られた一本はパスミスから。結果は3対1で決勝トーナメント進出決定!! 今日も蒸し暑かったけれど、風が吹き抜ける場所を見つけて移動。昨夜よりも楽な観戦となった。

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ホテルに戻り、シャワーを浴びてすっきり。お祝いに老舗の魚介類のお店へ。予約はしていなかったけれど、運良く席につけた。今日も牡蠣(笑)お祝いだしシャンパーニュを奮発することに。ギャルソンが「個人的に一番好き」というものにする。こちらの店名は「蝉」。壁の装飾タイルもセミ。白いチュチュを着たセミやマンドリンを肩にかけたセミなど。やぎはセミには見えないと言うけれど。この辺りにはセミは生息していないはずなのに、なぜセミ!? その質問をギャルソンにぶつけてみると、広場をはさんで真向かいに建つ劇場のダンサーに由来する、との説明。劇場のダンサーチームの名前がLA CIGALEで舞台が跳ねた後によくお店に来ていて、云々と。でもそれだと昔は違う名前だったってこと? ふむ、これは要追跡調査。お隣に日本人のご家族。30年前にナントに住んでいたそうだ。そのときは日本料理屋さんも一軒のみ。今は20軒はあるとか。今回お使いの航空キャリアのことなどお聞きしたり、こちらからもお勧めの場所をお話ししたり。こういうお出会いも旅のお楽しみ。お勧めの泡はものすごく美味しかったし、お魚料理もよくて、大満足。外観も可愛らしいお店で、気になっていたので、訪れることができてよかった。植物園のカフェに振られたお陰。カフェでランチを取っていたら、夜にバスク料理店へ行くことになりここへは来られなかった。

さて、1895年創業のブラッスリー、LA CIGAL。ナント出身の建築家、陶芸家、水彩画家であるエミール・リバウディエール(Émile Libaudière)の設計。彼はプロジェクトを実現するために、彫刻家のエミール・ゴシェ、画家のジョルジュ・ルヴロー、装飾家・椅子張り職人のルイ・プレオベールに協力を仰ぎ、技術とノウハウを結集させたそうだ。そして店名LA CIGALは、この設計者が “ラ・フォンテーヌの寓話に登場するセミ” をモチーフにした装飾に由来する、らしい。ときはアール・ヌーヴォー真っ盛り。そしてこのブラッスリーはすぐに大成功を収める。貴族やブルジョワたちが、グラスラン劇場の女優やダンサーたちと戯れるためにこの店に集まり、少しづつナントのあらゆる人々が店内を占拠するようになった。ビジターブックには数多くの芸術家たちの賛辞の言葉も。1943年9月の大空襲も耐え抜き、1964年に歴史的建造物に指定されたが、浮き沈みあり。セルフサービスのお店に改装され、より民主的になり空席がなくなることはなかったが、内装は維持されず、ピンボールマシンが陶器を隠し、人々はジュークボックスから最新のヒット曲が流れる店内にスクスを食べに来た、とある。1977年に新しいオーナーが引き継いでから、修復作業が始まり、1982年に支配人のヤニック・カーティと共同支配人のミッシェル・パヴァゴーが「ラ・シガールを四季折々に歌い継がせる」« refaire chanter la Cigale à toutes les saisons»ことを決意し、創業当時の輝きが取り戻され、今に至るとのこと。以上こちらのページ参照。