一般公開が行われていない清風荘へうかがう貴重な機会を得た。清風荘は元々、徳大寺家(清華家のひとつ、西園寺公望と住友友純の実家)の「清風館」という別荘だった。それを公望の弟、友純(春翠)が明治40年(1907)に譲り受け、住友の財により建替工事等が行われた。そして「清風荘」と名付けられ、兄、公望の京都での控邸としたそうだ。公望の没後は住友家によって保管されていたが、昭和19年(1944)に、京都帝国大学創設(明治30年/1897)に、文部大臣そして私人としても尽力した公望の遺徳を偲ぶため、京都帝国大学(現京都大学)に寄贈された。清風荘の建築は大工二代目八木甚兵衛が担当し、明治43年(1910)着工、大正2年(1913年)竣工。母屋など12棟は平成24年(2012)国の重要文化財に指定された。庭園は七代目小川治兵衛(植治)が担当。明治45年(1912)から大正2年(1913年)に作られたそうだ。庭園は昭和26年(1951)に国の名勝に指定された。(以上、当日いただいた京都大学の資料を参照して一部加筆/清風荘についてさらに詳しくはこちらのページで)