阿含経 (2017.05.04 Thu.)

写真は本文と関係ありません(笑)庭で羽化を待つコミスジの蛹。

阿含はアーガマ agama の音写。その中のディーガニーヤ第27、世起経(アッガンニャ経)を学ぶ。阿含経は大乗仏教発生前のもので、ブッダの教えに比較的近いと考えられている。比丘を目指していた沙弥のヴァーセッタとヴァーラドヴァージャ、二人は世尊が夕方、外で経行(きんひん=歩きながらの瞑想)されているのを見かけ、法話をしてもらおうと近づいた。その二人に世尊が話しかけるスタイルで物語は進む。世界の成り立ちと崩壊、カーストについて。釈迦仏教の世界観に触れられたいへん面白かった。釈迦仏教がカーストを明確に否定していることも理解できた。そして、キリスト教ではリンゴが禁断の果実だが、仏教においては「稲」だったことも興味深い。

・沙弥=見習い
・別住=他の宗教を信じていた人には観察期間が設けられる。その観察期間のこと
・十悪十善=業を作る基本的なもの
・光音天=世界は下から、つまり地獄から滅びていく。最後に光音天だけが存在するので、皆ここに転生する。そして世界は上から造られていき、転生したものはまた元の場所に戻される。
・味地(rasapathavi)=rasaはエッセンス、pathaviは地面 あるとき牛乳に皮膜が張る様に水の上に出現した薄皮。あまりに美味で食べたものに「渇愛」が生じる。そして味地を食べ続けると体に堅さが現れ、容姿が様々に変化し美醜が生じる。美しいものが醜いものを軽蔑するようになり「慢心」を持つものが誕生。そしてこの慢心のせいで味地は失われる。代わりに同じく美味な地苔が現れ、味地と同様の結果を生む。次にパダーつる草についても繰り返される。そしてついに耕さなくても実る稲の出現!そのお米を食べ続けた結果、生き物に男女の身体的な違いが現れ、「貪欲」が生じ淫法を行う様になった。淫法を隠すために家を建て始める。一方惰性な者たちはその都度米を運ぶのが面倒になり、朝晩二回分を一回に、やがて2日に一回、4日に一回、8日に一回しか運ばない者が出現。そして貯槽された米を食べる様になると籾殻が出来、一度刈られた稲は再生しなくなる。人々は稲を分割し所有者を決め境界を設ける。しかし守らず人の分を取って食べる者が。皆は彼は諌め、彼は「わかった」と言いながらも止めず、人々は彼を棒などで打ち据えた。これが「揄盗」「避難」「妄語」「刑罰」の始まりである。と言う様なことが語られている。

「ねこもしゃくしも」は、ねこ(禰子)=禰宜の子孫 しゃくし(釈子)=仏弟子、お釈迦さまの弟子 だったことも知る!「猫も杓子も」じゃなかったのね(笑)