対岸のヴィルヌーヴ=レザヴィニョン Villeneuve-lès-Avignonへ(以下ヴィルヌーヴ)。昨日聞いた音声ガイドでもしきりに名前が出ていた。教皇庁がアヴィニョンに置かれた14世紀、フランス国王領だったヴィルヌーブは教皇の別宅や枢機卿のお屋敷が並ぶ華やかな街、だったそうっだ。現在は、こぢんまりと可愛い町(しかも静かだった)、という印象。良さげなホテルもあった。広場でまずは喉を潤す。そして町を探検。何はともあれ高台へ。アンダオン山に建つ「サン・タンドレ要塞」」(Fort Saint-André)と「サン・タンドレ修道院」(Jardins de l’Abbay Saint-André)に行き着いた。修道院は残念ながらお休み。でも「サン・タンドレ要塞」には入れた。ここは必見。
10世紀には集落と修道院がこの地を占めていたそうだ。対岸ではアヴィニョンの街が発展していく。12世紀になると、フランス王が国の南方拡大を行い、ローヌ川が国境となる。ルイ8世(1223-1226)は、サン・タンドレ修道院長との間に共同領主権を結び、この山の要塞化を進めた。これを受けて修道院長はアヴィニョン司教の保護を失い、川を境にして西側がフランス、東側がプロヴァンスと二分された。1293年フィリップ4世端麗王(1285-1314)が西岸に新市街を築く。山の要塞化はジャン2世善王(1350-1364)によって進められる。1481年にプロヴァンスがフランスに帰属したことにより、要塞が戦力的な役割を失う。云々(公式パンフ日本語版参照)
もう一箇所「祝福の谷のシャルトゥルーズ」(La Chartreuse du Val de Bénédiction )へ。教皇イノケンティウス6世の意向により建立されたシャルトゥルーズ会修道院。気持ちのいい場所です。ちょうどお腹が空いたので夏の間だけ営業しているガーデンレストランでランチにする。悪くはないのだけれどボリュームがありすぎて食べきれない。すると担当の若い女性が英語で「良い?悪い?中間?」と聞いてきた。楽しいお嬢さんでことあるごとにこの呪文。ははは、もしまずくても不味いとは、言えないよねぇ。さすがの私でも(笑)
アヴィニョンに戻り旧市街を少しお散歩。夜はホテルの庭で簡単に。世界史をもっとちゃんと勉強しておけばよかった!と反省した一日。