写真は昨日の鴨川の風景。「要急」の事案あり、時節柄徒歩で。人の少ない場所を選んで歩く。烏丸御池経由烏丸四条。銀行のATMコーナーは長蛇の列。間隔を開けて並ぶような指示もなく不安なので、地下鉄に設置されているマシンへ。自分の身は自分で守る。自分を守ることが人を守ること。改めて肝に銘じる。
本日4月7日付けの讀賣新聞。内田洋子さん(ミラノ在住のジャーナリスト、一時帰国中)の寄稿「涙より微笑みを イタリアの品格」が興味深かった。それは“「生きていたら、経済のどん底からも必ず立ち直れる。物事の重要さの順位を肝に銘じ、弱い人を守り、他人への責任を果たしましょう。」大統領と首相のこの言葉を受けて自宅待機を続ける国民が今、ウイルスに侵されてなるものか、と一生懸命に守ろうとしているものは、人としての品格ではないか。”と締め括られている。国家のトップに立つ人は、国民を「その気にさせる」言葉を持たなくてはいけない。暴力や力ではなく国民をその気にさせる言葉を。言葉は「その人」の内面を浮き彫にする。借り物や似非はすぐに襤褸が出る。今の日本の政治家に耳を傾けたくなる言葉を発する人がいるだろうか。この人がそう言うのなら、と共鳴できる人がいるだろうか。しかし政府は国民(わたしたち)を映すもの。この問はすなわち自分自身へ返ってくる。
もうひとつ、非常に気になったニュース。「日本、2週間前のNY」という見出し。NY市内の大学病院で対応にあたる米国日本人医師会会長の柳沢貴裕医師に話を聞いたもの。ニューヨークで感染者が100人単位で増え始めたのは約2週間前、日本はそれと非常に似た状況になっており心配している、とある。誰もが『自分もすでに感染している恐れがある』との意識で外出の自粛などを徹底することが大切だ、と話されている。
と書いていたら信じられないニュースが飛び込んできた。「慶応病院の研修医が集団感染…自粛要請中に40人で会食」って!意識が低いというレベルを遥かに超えている!!前述の内田洋子さんの寄稿にあった「人としての品格」。日本人は護れるのか。まさにそれが問われている。