昨日、いろいろと調べ物をしていて偶然近くに国指定の登録文化財(建造物)があることを知る。夕方お惣菜をピックアップする道すがら、立ち寄ってみた。前の通りは何度も通っていたのに、目を留めたことがなかった。あるいは見ても土蔵だと思っていたのかも。9年目にして、その建物の由来を知る。名称は「百石斎(ひゃくせきさい/旧田邉朔郎書斎)」大正6年ごろに建てられた。“琵琶湖疏水を計画・設計した田邉朔郎の設計による鉄筋コンクリート造2階建の書斎。内部にキングポストトラスを用いる。土蔵造風であるが、妻面に各階二つの窓を配すと共に小庇を四面に周し、採光に考慮する。RC造を得意とした田邉の堅実な作風が窺える”(“”文化庁 国指定文化財等データベースより抜粋)
キングポストトラスとは「三角形をつくって構造を構成するトラスのうち、中央に真束と呼ばれる支柱の立っている形式をいう」そうだ。トラスとは“各部材の接合点をピンで連結し,三角形の集合形式に組み立てた構造。湾曲力に強く,橋や屋根組みに用いられる。結構。”(“”スーパー大辞林より)とある。図を見れば、あぁあれね!と合点。
設計者の田邉朔郎(たなべさくろう/861~1944)は“琵琶湖疏水の設計者、工事主任。文久元年(1861)江戸で生まれる。父は幕臣。明治10年(1877)工部大学校(現、東京大学)入学。卒業論文で「琵琶湖疏水工事計画」を執筆。卒業と同時に京都府知事北垣国道に招かれ、琵琶湖疏水の工事主任となった。疏水工事は明治18年着工。同23年に完成。大津-京都間に舟運を開くとともに、蹴上発電所を建設し、我が国水力発電事業の先駆となった。この電力により、京都西陣機業の機械化や日本最初の路面電車の運行が実現した。その後、東京・京都の帝国大学教授を歴任。昭和19年(1944)、84歳で没。”(“”大津市歴史博物館 大津の歴史データベースより抜粋)
北垣国道は京都府知事の後、北海道庁へ転任して、明治25(1892)年に北海道庁長官長になり、開拓に貢献したと同時に鉄道建設も組織的に進めたそうだ。現在残っている函館本線、そして宗谷本線、根室本線、いずれもこれらの骨格をつくっ たのは北垣国道だそうで、その設計にあたったのは田邉朔郎。このコンビ、すごい!