節分とは、立春立夏立秋立冬の称であるが、今「節分」と言えば大方立春の前を指すのであろう。節分と言えば豆まきをしてメザシを食べる、というのが実家での習わしで、家を出てからはこれにメザシの頭を刺したヒイラギが加わった。そして現在。京都は吉田山に居を構えてからは吉田神社の節分大祭が加わる。このときに古いお札とお正月飾りを焚きあげてくださるので、事前に持ち込むのも忘れない。
祭事は、
2日午前8時から節分前日祭、疫神祭 午後6時から追儺式(鬼やらい神事)
3日午前8時から節分当日祭 午後11時から火炉祭(古神札焼納神事)
4日午前9時30分から節分後日祭
2日3日には約800店の露店が立ち並ぶ。そして三日間は普段は閉まっている大元宮も参拝できる。こちらは八百万の神々が祀られている。ずらっと国別にお社が並ぶ。甲斐の国20神にも手を合わせ家族親戚の無事を祈願する。オットの故郷、美濃の国にももちろん詣でる(^^) この他に吉田神社にはお菓子の神様(菓祖神社)や包丁の神様料理飲食の神様(山蔭神社)がいらっしゃったりしてユニークです。
今年は週末と重なったため、昨年よりさらに多くの人出。まずは2日の昼間にお参りを済ませ、露店を流す。夕方からは、追儺式御一行様が竹中稲荷を出発するので、そちらを昨年同様拝見に出る。家から数分で毎年こんなスペクタクルを見られるのが嬉しい限り。昨年はときおり雪もちらつく厳しい寒さだったけれど今年は打って変わって春のように暖かな一日となった。最高気温20度近く。裸足で高下駄の方相氏が昨年はまことに気の毒でしたが、今年はこれならそれほど寒くはないでしょう。薄暗くなった午後5時半ごろ、赤々と燃え盛る松明を持つ侲子(しんし/方相氏のお供の童子、舎人とする説明もある)を先頭に*、衛府官人(えふかんにん/上卿の護衛役)、方相氏(ほうそうし/大舎人)、殿上人(上卿のお供役)が続き、遅れて赤鬼(怒り)黄鬼(苦悩)青鬼(悲しみ)が子供を泣かしつつ(笑)、境内へ。そして午後6時から追儺式(鬼やらい神事)が始まる。境内では上卿(しょうけい)、奉行、陰陽師、齊郎(さいろう)が待つ。こちらは未見。来年こそ!儀式(約20分)の模様などはこちらのサイトで詳しく紹介されています。
追儺式は中国からもたらされ、元来大晦日の夜に悪鬼を祓い疫病を封じる宮中の行事。吉田神社では平安時代から続いており、境内では年越し蕎麦も食べられるので、まさに年末年始という感覚。ちなみになぜ鬼には角があって虎のパンツなのかと言うと、鬼たちは鬼門と言われる北東(うしとら)の方角からやってくるため、牛の角と虎の皮で出来たパンツをはいている、のだそうだ。
3日の午後11時から行われる火炉祭もすごい。今年は見なかったけれど、昨年はしっかり火炉祭へも。ここでこんなに燃やして大丈夫なの!?と心配になるくらいの迫力で火が燃える。間近に近づかなくとも熱い。漆黒の闇にごうごうと炎が燃え上がる様は荘厳。
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*2023年2月3日追記:昨日吉田神社では3年ぶりに追儺式が行われた。ご近所のTちゃんが松明を持つ童子として行列に参加。このコラムに当初「松明を持つ侲子」と記載しておりましたが、吉田神社の鬼やらいでは松明を持つ童子は「舎人」(白い装束)そして紅梅色の布衣を身につけた童子を「侲子」と呼ぶようです。なお、侲子の元々の布衣の色は紺らしい。“吉田神社での追儺 『都年中行事画帖』(1928年)”にもそのように描かれています。そして同じく絵に描かれている松明を持つ「舎人」と思わしき方々は大人のようである。