江戸を旅する(2024.06.17 Mon.)

15日の土曜日に深川の冝雲寺さんに寄せていただいた。英一蝶とゆかりが深く「一蝶寺」とも呼ばれている。今回はこちらで「白隠フォーラム 英一蝶と白隠」(花園大学国際禅学研究所主催)に参加。東京に暮らしていた頃は西に居を定めていたので、深川あたりにはほとんど縁がなかった。東京は広い。なので、せっかくだからと二泊にして「江戸」を楽しむ心づもりで出立。宿も冝雲寺さんの近くに取った。土曜日のフォーラムのKWは「俳諧」。松尾芭蕉の名も当然登場。翌16日の日曜日には、芭蕉の足跡を尋ねる街歩き。さすがに芭蕉が庵を結んだ地。あちこちに芭蕉の息吹。芭蕉記念館へも足を運ぶ。故郷へも芭蕉は来ていたことは知っていたが、詳細をこちらで学んだ。天和二年(1682)、江戸駒込大円寺から発生した大火によって芭蕉庵も類焼し、支援者のほとんども罹災。秋元家*家臣・高山傳右衛門繁文**(俳号麋塒)の招きで、谷村(山梨県都留市)を訪れることになり、天和3年(1683)芭蕉は、弟子の芳賀一晶と共に、谷村への旅に出て、翌年5月ごろまで滞在することになったそうだ。たっぷりと芭蕉に浸り向かったのは出光美術館。目を潤し、銀座に出て友人たちと会食(こちらはイタリアを楽しむ趣向)。17日月曜日は亀戸天神と小石川後楽園へ。とことん「江戸」を楽しむのだ。長く東京に住んだのに両地とも初めて訪れた。藤で有名な亀戸天神。名残の藤が二房、三房。東京スカイツリーと社殿の粋なツーショットも。後楽園は、山あり谷あり名所あり。都心にいることを忘れてしまう。お菓子とお薄をいただいて振り出しのホテルに戻り、荷物をピックアップして東京駅へ。江戸満喫ツアー、これにておしまい(笑)図らずも故郷のことも学ぶ機会になった。

*秋元泰朝(あきもとやすとも):天正8年(1580)ー寛永19年(1642)総社藩(群馬県前橋市総社町)初代藩主秋元長朝の子。元和8年(1622)、泰朝は父長朝の隠居に伴い1万5千石で家督を継ぎ、寛永10年(1633)1万8千石で甲斐国谷村(現都留市)に移封となる。泰朝は跡を継いだ上野国総社領内において父長朝の用水事業を受け継ぎ、さらに谷村転封後も領内で用水開削や養蚕の奨励などを勤めた。寛永19年(1642)没。谷村城下の泰安寺(秋元家の菩提寺)に葬られるが、のちに上野国総社の光巌寺に改葬。行年63歳

泰安寺は秋元氏が移封になるたびに、谷村、川越、山形、館林の順に移築され、明治維新の際廃寺となったそうである。なお、谷村は泰朝から孫の喬知(たかとも)が宝永元年(1704)に川越に移封するまでの71年までの間に城下町整備が行われたが、喬知の川越移封後は廃藩となり城下町としての歴史に幕を下ろす。その後、正徳3年(1713)には江戸幕府が直接収める「天領」となった。

**高山傳右衛門繁文(たかやまでんえもんしげふみ):慶安2年6月20日(1649年7月29日)ー享保3年2月7日(1718年3月8日)秋元家家老高山文左衛門孝繁の2男として甲州谷村に生れる。26歳のとき家老職に就任、のちに武蔵川越藩の国家老となった。俳人。俳号は麋塒(びじ)芭蕉とは延宝8年江戸出府の折、入魂になったものと思われる。その交際は、芭蕉最晩年まで続いた。行年70歳