上賀茂神社、正式名称は「賀茂別雷神社」(かもわけいかづちじんじゃ)で行われた薪能へ。偶然前日に上賀茂神社へお寄りして知った。まだ前売券もあるとのことに、この機会を逃してなるまじと決める。父が長く観世流を習っていた。そのため能楽堂へは何度か足を運んだことがある。その経験上、お能は物語の筋や背景がわからないとさっぱりちんぷんかんぷん。なので、観賞講座付にする。
よく晴れて、しかしそれ程暑くもなく、という梅雨にしては奇跡のようなお天気。午後3時半から始まる講座に合わせて神社へ。屋外なので綿絽の浴衣を着物風にという気軽ないでたち。講座はこの薪能の主催者で出演者、シテ方井上裕久氏。今宵の番組に添って、楽しくわかりやすいお話し。本日の番組は以下の通り(チラシより)。
御戸代会神事(みとしろえしんじ)
賀茂御戸代能
薪能
奉納番組
素謡 神歌〈かみうた〉*神事の場合は必ず神歌から。お能では「翁」と呼ばれる
翁 井上裕久 千才 橋本光史
仕舞 鶴亀〈つるかめ〉井上裕之真
羽衣〈はごろも〉キリ 杉浦豊彦
〈火入式〉
狂言 魚説教〈うおぜっきょう〉*他流派では「魚説法」と呼ばれる 出家 茂山千五郎 某 島田洋海
能 安達原〈あだちがはら〉白頭 *観世流以外の流派では「黒塚」と呼ばれる
女/鬼女 井上裕久 裕慶 原 大 山伏 岡 充
神事のときになぜ〈神歌〉から始まるのかということの理由についてははっきりしておらず、そういうものと理解して欲しいと井上先生。能の場合には「翁」というタイトルになる。お能は舞台で見せているのは3割、残りの7割は見手のイメージで。すなわち、物語の時代背景、あらすじには書かれていない登場人物の心の動き、などがわかっていないと何が何だか、ということになる。これが「能は難しいと」言われる所以。もうひとつ舞台の約束事。たとえば〈安達原〉では女が「さらば留まり給え」と戸を開けると今まで外だった空間が一転屋内に変わる。見ている側がそれを承知していないと???ということになってしまう。ただし、そのような肝を押えて見るとまことに面白いものなり。また装束や小物で精神性や内容を表しているので、その点も見る前に押えたいところ。〈安達原〉では女が回す「わくかせわ」(糸巻)。面と装束の組み合わせにもバリエーションがあり(流派によっても異なる部分あり)、本日は「白頭」のかつらに「般若」の面。「黒頭」の場合もあるそうで、その場合にはもっと獣に近い演出、と言った具合。
狂言は、能とはまた違った楽しみがある。純粋に見て聞いて笑える。今宵の茂山千五郎氏の魚説教〈うおぜっきょう〉まことに愉快。されどそれだけのものにあらず。またこれも深きものなり。上手く説明できませんが。
とにもかくにも、井上先生の観賞講座のおかげで一度も眠くならず、幸せなことに最前列で幽玄な世界を神様と共に堪能させていただいた。今はインターネットで調べれば詳しくあらすじや舞台の約束事が書かれているページが見つかるので、次の機会も必ずそれらのことを押えて出かけよう。そして「見る人の引き出しで理解する」ということは逆に言えば「自由に見ることができる」ということなので、同じ演目でも人によって楽しみ方は違うし、何度同じ演目を見てもその都度違う楽しみがある、ということになる。こんな面白いものが「難しい」という一言で片づけられ衰退するのはまことに残念なこと。これを機に能楽堂へも足を運ぼうと思う。