2003年9月26日(金) 晴 のち くもり
それでも諦めずに歩くのです。そして日がとっぷりと暮れますます寂しい様子になったメッシーナの町で、見つけたのです!大学近くの裏通りにお店がぽつぽつと並ぶちょっと小洒落た場所があり、そこに一際小洒落たお店その名も"Art Cafe"。どうやらメッシーナのお洒落な人たちが集まるところらしい。昼間見かけなかったようなスタイリッシュな人たちがグラスを傾けている。すでにたくさんの人。メニューをもらうとカクテルやワイン、カッフェの種類がとても豊富。パスタシチリアーナ(この季節に冷製?と少し不安に感じながらも)・お米のサラダ・白ワインを取り合えずオーダー。すると次々に料理が運ばれてくる。どうやらお通しらしい。しかしすごい。ニンジンとズッキーニのディップ、ブラックオリーブとグリーンオリーブの盛り合わせ、ズッキーニのオムレツとクロスティーニ、そしてなんとゆで卵!あまりのことにお米のサラダをキャンセル。そして出てきた冷たいパスタ。何やら甘い。またも甘いパスタ!? 干しぶどうが入っているのでそれはもちろん甘いのだけれど、パスタだけを食べても甘い。チェファルでも甘いパスタが出てきたので、もしやこれが新しい流れ?とお店の人に質問。こう言う込み入った会話の時は英語じゃないと駄目なのねぇ(涙)。カメリエーラは英語が分からず、中から男性を連れてくる。しかしこの方も英語があまりわからず、隣の女性が通訳を買って出てくれる。お楽しみのところ申し訳ない。英語とイタリア語でディスカスするも結局決定的な理由は分からず仕舞い。トマトの酸味が強いときにお砂糖を入れるからその甘みではないか、と言うのが一番説得力があった。とにかく「甘いパスタ」はニューウエーブじゃないことははっきりしました。そしてこちらの質問にきちんと答えてくれ好感度大。メッシーナへ行く人にはお勧めのお店。でもメッシーナは行かなくてもいいと思うのが正直な感想(笑)。
2003年9月27日(土) 晴
2003年9月28日(日) 晴
10時頃、復旧の目処がたったようだとホテルのスタッフ。あと一時間ぐらい?と尋ねると「Speriamo(そうあって欲しいね)」と答えるので、あと3時間ぐらいと予測する。そう、ここはイタリアなのです。あれこれ考えてとにかくレッジョ・ディ・カラーブリアまでフェリーで渡ると決める。もしかしたら本土の方が復旧が早いかもと淡い期待を抱きながら。停電ということはもちろんマシンが動かないので今朝はカッフェを飲んでいない。フェリーに乗ってすぐにバールへ並ぶ。皆同じ思いらしい。大混雑。フェリーは無事に対岸に到着するも、そこから市街地までの移動が大変だった。国鉄の駅までとにかく歩き、バスかタクシーに乗ろうと目論む。バスは出ていないようだ。タクシー乗り場はあるものの車の陰はない。鉄道警察のお兄さんに尋ねると普通はタクシーがいるとのこと。お昼に行ってるんじゃないか。きっともう少ししたら戻ってくるよ。と言うので駅前で待つことに。駅の切符売り場ではすごい剣幕でお客の一人がまくし立てていた。どうやら払い戻しに関係して駅員の対応に怒っているようだ。顔なじみの鉄道警察員が中に入りようやく収まるが、それにしてもすごい騒ぎ。私も短気だけれどさすがにあんな風に人前で激昂は出来ない。さすがイタリア人である。駅前にはナポリまで行きたいアジア系の女性。ローマまでどうしても今日中に行かなくてはいけない、イスラエルのドクター、など様々だ。そのドクターの話だとメッシーナ(だったと思う。ちょと記憶が曖昧です。)からローマ行きのプルマンがあった。でも券売機が停電動かずチケットが買えない。プルマンの運転手はチケットが無ければ乗せられないと頑なに乗車を拒否。結局空っぽのままプルマンはローマへ向けて発車。ん〜、なんとも!にゃんとも!!
電気が復旧しところで駅へ立ち寄り一応チェックする。時刻表を見ていたら真っ黒に日焼けした若者に「日本の方ですよね」と声を掛けられる。若者はギリシャをまわって俊輔の試合を観に来た。話をしていたらもう一人若者が近づいてきた。こちらはNY在住でやはり俊輔の試合を見に来たらしいが、試合日が直前で変更になったので、肝心の試合は観られず(はっきり行ってバカだね・笑)しかもタクシーにぼられたとぼやいている(ドルしか持たずにイタリア入りするからだよ)。この日に着いてこの日に帰るべく(驚きのスケジュールだね!)列車の復旧を待っていた。後15分くらいでローマ行きは動くらしいですよとNY在住。けっ、君はイタリアを知らなさすぎるね、とまたまた心の中なでつぶやきながら(笑)、15分では動かないと思うよとだけ答える。しばらくサッカーの話をして別れる。彼らは無事目的地へ移動できただろうか。私たちも明日は目的地へ無事移動したいなぁ。+続く+